日露の歴史
プーチン大統領が来日して、共同記者会見の席で、日露和親条約を締結した プチャーチン提督の名前をあげていました。 提督と言えば、来航した下田港で安政大地震に遭遇。津波により船が大破してしまう。 ところが、地元民が提督はじめロシアの乗船員たちを助けます。 しかも、幕府は新しい船を日本で作ることを許して、提督は日本で作った船で帰還。 提督の苦労とともに、地元民や幕府の善意の中で条約は締結されました。 さらに歴史をさかのぼれば、幕府から派遣された近藤重蔵は、択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を立てる。 間宮林蔵は、世界で初めて、樺太が陸続きではない島であることを発見。 時に、ロシアとの武力衝突が勃発するなど、極寒の大地での彼らの任務は、大変厳しいものだったでしょう。 そして、ラスクマンに大黒屋光太夫、レザノフに高田屋嘉兵衛・・・ 両国の先人たちは、平和を求めて、自国の独立を維持すべく懸命に努力したことが分かります。 そんな歴史を覚えてこそ、北方領土交渉は前に進んで行きます。
2016年12月27日