フライパン倶楽部

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商人日記 - A SHOPKEEPERS'S JOURNAL -

商人とは何か。自分とは何か。自由とは何か。店長が綴る明日への旅日記です。

オランダと自我作古

天皇皇后両陛下がオランダを訪問している時に、奇しくもサッカーワールドカップの対戦は日本とオランダでした。 森保一監督が、試合後の会見でオランダ人のハンス・オフト元日本代表監督の名前をあげて 「オランダの指導者の方々が日本のレベルアップに貢献して頂いたので感謝したい。」 改めて、わが国とオランダの歴史を紐解くと、1600年のオランダ船リーフデ号が大分県に漂着したことに始まります。 そこに乗船していたイギリス人ウィリアム・アダムスを通じて、オランダとの貿易が始まります。 やがて、長崎の出島を通じて、解剖学教科書「ターヘル・アナトミア」が翻訳されます。 それが解体新書。その翻訳の苦労が杉田玄白の「蘭学事始」に記載されていて、それに感涙したのが福沢諭吉でした。 辞書もなく尋ねる人もいない困難な状況下で、それに耐えて開拓にあたることを「自我作古」(じがさっこ)と表現。 我より古(いにしえ)を作(な)す、歴史を作る主体となる。この言葉を掲げて誕生したのが慶應義塾でした。 世界一を目指す日本代表は、まさに自我作古。それは先人や周りへの敬意と感謝から生まれます。 

2026/06/19

独立自営という希望

道に迷う若者が来店されて会話を楽しんでいました。すると、親以外にここまで話せる大人はいないと感謝してくれました。そこで、自分の子供時代を思い出しました。運動具店、玩具店、ジーンズ店、書店、カメラ店、薬店・・・どのお店も町内にあって、私の話を聞いてくれた店員さんたちがいました。最近は不登校の子供たちが増えていますが、このようなお店の価値が浮かび上がります。そこが居場所ともなる。人と人がつながって、お互いに助け合うところが店とも言えます。そして、その店には、子供たちの話を聞くゆとりと愛情があった。それは、どこから来るのか。文化人類学者の松村圭一郎さんが政治学者のジェームズ・スコットの言葉を紹介していました。「他人から指図されることなく、自らが働く日やその内容をコントロールしている。そのことが生み出す自由と自尊心の感覚への欲望は、ひどく過小評価されているが、世界中の人びとにとっての社会的希求そのものなのだ。」そのもとで、店はともに生きる拠点だと。この時代、店に来てくれた嬉しさに胸を高鳴らせる自営業者の自由を見直してみたいです。

2026/05/25

人新世の小売

経済思想家の斎藤幸平さんが「人新世(ひとしんせい)」という言葉を使って、今日の経済活動を批判しています。 人新世とは、人類の活動が地球の地質や生態系に決定的な影響を与えるようになった新しい地質時代。 まさに、地球温暖化や自然災害が多発する今の時代と重なります。 その時、人類の活動とは、今日の経済活動であり、大量生産と大量消費とも表現できます。 ここでは、小売が大きく関わります。 小売商人こそ、目先にとらわれず、未来を見据えながら、しっかり考える必要があります。 果たして、人新世に何をすべきなのか。 一つには、使い捨てではなく、モノを大切にして長く使っていくこと。 また、水や電気、ガスなどの資源を無駄なく効率よく使っていくこと。 これは、先人たちのあり方に帰ることに至ります。 そして、この文化を育んで再構築していく場が台所でもある。 そこでできる小さなことの積み重ねが、そこでの願いと祈りとともに、やがて世界を変えていく。 引き続き、「お料理上手は幸せ上手」を伝えて参ります。 この時代に、そんな先駆けの小売店、フライパン倶楽部を目指したいです。

2026/05/18

見て見ぬふり

米国大統領の物言いに対して口を閉ざしてはなりません。 先人たちが培ってきた倫理や道徳の価値は今日も輝いています。 特に、政治家たちは難しい立場にありますが、「へびのようにさとく」の面は必要でしょう。 かたや、天皇陛下は、変わらず倫理や道徳の防波堤になって頂ています。 その時に、政治家たちや天皇だけではなく、国民一人一人のあり方が問われます。 イラン出身の俳優・サヘル・ローズさんが中日新聞で語っていました。 「戦争は、ある日突然、どこか遠くから落ちてくるものではない気がしています。 それまでに、憎しみが育ち、分断が置き去りにされ、誰かの痛みを『自分には関係ない』と見過ごした先で、 少しづつ形になっていく。それが『戦争』ではないでしょうか。 だから私は、傍観者でいることも、加担することにつながるのではないかと感じています。 見ないこと、知ろうとしないこと、考えることをやめてしまうこと。 そういう小さな無関心が、暴力をゆるしてしまうのではないのか。」 サヘルさんの切実な痛みから生まれて来た言葉だと思いました。 見て見ぬふりをしていないか。自分に問いかけます。

2026/04/27

看護師をほめる医師

私は、臆病なところがあるのか、医療機関が苦手です。それは、どこから来るのか。ひとつには、お医者さんが看護師さんを叱りつけることを見聞きしたことが原因だったかもしれないと思いました。耳と目がよく働いている患者は、とても敏感なのだと思います。ところが、今回お世話になったお医者さんは、看護師さんを良くほめるのです。これは、今までにない新鮮な経験でした。しかも、心からほめていることが伝わって来る。そして、「ありがとう、ありがとう」の言葉がいつも院内全体に響いている。それは、患者というより看護師さんにた対しての言葉です。そんな環境であると、患者は自然と不安や恐れも小さくなることを実感しました。医師という立場は、さまざまな緊張があり、周囲に配慮をする余裕はなくしがちなのだと思います。しかし、それは患者の大きな安心感につながります。その時、店を経営する商人も同じだと気が付きました。改めて、反省いたします。そして、心新たに、そのお医者さんを見習いたいと思いました。お客さんを大切にするとは、まずは従業員を大切にすることでしょう。

2026/04/17

自発的な感謝

二宮金次郎七代目子孫の中桐万里子さんが豊橋にやってきました。個人的にお話を伺うのは3回目でした。中桐さんご本人が語っていたのですが、ご自分は健康管理の階段のようでありたいと。階段はいつも同じだけど、その日の体調を教えてもらえる。ご自分の話もいつも同じだけど、その日その日によって違ってくるので、自分をみつめ直して下さいと。そこで、今回は五常講という金次郎が考案した金融制度のことを質問しました。五常と呼ばれる儒教の道徳を担保として無利子で資金を貸し出す。しかし、それで助けられた人は、その無利子の恩に報いて、自発的に上乗せして返す。その結果、この資金が、かえって大きくなり、今度は誰かを助けることに循環していく。この時に、義務ではなく、自発的であることが鍵でした。それは、助けられた者が、今度は助ける者になる。対等な人間関係が前提にあり、そこに人の尊厳がありました。この自発的な感謝が報徳思想の本質であると3回目の階段ではじめて腑に落ちました。利己の発想から脱却して、この利他の良き循環の輪を少しづつ広げて参りたいです。

2026/03/27

希望の牧場

 NHKこころの時代~宗教・人生~「185頭と1人 生きる意味を探して 吉沢正巳」を視聴しました。吉沢さんは、福島県浪江町で被爆した牛たちを殺処分することなく、15年間育て続けて自らを牛飼いと呼んでいました。もはや稼げない牛を育てることに意味があるのか。いつしか、命の価値を経済的なもの、稼げることだけに置いてしまう。しかし、命とは、無条件で価値があるもの。その時、被爆牛の存在が、この世の価値観に抗い、語らずとも語っていました。それは、商人の心にも響きます。稼ぐことがすべてではない。稼ぎたくても、稼げない人もいる。また、人は老いれば、やがて稼ぐことはできなくなる。あるいは、病気になったり、事故に遭遇したりするかもしれない。一筋縄ではいかない世界で、さまざまな矛盾を抱えても、今自分にできることを精一杯行っている。それは「たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日リンゴの木を植える」マルティン・ルターの言葉と重なります。そこにある誠実な意志こそ、次代に継承されて行く。そんな牛飼いのつぶらな瞳に涙しました。そこは希望の牧場でした。

2026/03/16

製鉄会社のカップル

親戚の結婚披露の祝賀会に参列いたしました。お二人は、大手製鉄会社にお勤めのカップル。 会の前に店舗に寄って下さり、その会社の鋼材による鉄製フライパンをご購入下さいました。 そして、祝賀会の乾杯の挨拶を頼まれたのですが、何を話そうかと考えていた時にひらめきました。 それは、水と油は互いに弾きますが、鉄製フライパンと油は馴染んで一体となる。 これが結婚の奥義のように感じたのです。お互いが一体となって、二人で美味しいものを作り上げる。 しかも、鉄製フライパンは一時的ではなく、末永く使うことができる。 私は、仕事柄フライパンをさまざまに語ってきたのですが、今回の視点は初めてのものでした。 それは、製鉄会社のカップルが引き出してくれたのだと思いました。 そして、その会社の歴史を調べると、日本の近代化をもたらし戦後の経済成長を牽引する。 昨年は米国大統領にひるまず対峙。今日はカーボンニュートラルに取り組まれる。そんな会社の歩みに励ましを頂くとともに、 お二人が鉄製フライパンで料理をする新しい生活が始まります。末永くお幸せに。

2026/02/28

黎智英の自由

香港紙「蘋果日報」(アップル・デイリー)創業者の黎智英(れいちえい)さんに拘禁刑20年。 産経新聞に黎さんを取材をしている藤本欣也さんの論考が掲載されていました。 カトリックの洗礼を受けた経緯と2020年8月、初めて逮捕された夜に「このままずっと外に出られないのではないか」 不安が募るものの「自分は(人生をやり直したとしても)きっと同じ道を歩く」 そう確信できたときに落ち着きを取り戻せたのだと。 「これは自分の運命であり、神からの賜りものだ。受け入れよう」 そして、ナチスに抵抗した牧師であるボンヘッファーの著作を読んで勇気を奮い立たせた。 2025年の藤本さん宛てのクリスマスカードには「主が、私に新しき人生を与えてくださったことに心から感謝します。 その人生は、以前は見えなかった真の平安、喜び、意義に満ちています」 結びには「見えるようになった今、私は自由です」 このような自由への闘争が積み重なって今日の自由がある。加えて、カトリックの仲間をはじめ黎さんを支える多くの人たちが控える。 そして、自由を守る高市首相を後押しするのは、私たち日本国民のあり方です。

2026/02/12

流通の無言化

最近ユニクロをはじめとした小売店では、セルフ決済のみとなっています。 そんな時に、官僚でもあった堺屋太一さんが「流通の無言化」と表現していたことを知りました。 これが戦後の歴代内閣の基本方針の一つだったとのこと。 高度成長時代の官僚たちは、モノの生産に対して消費が追いつかない原因を考えた。 それは、小売店舗などで、お客さんと売り手が余計なおしゃべりに時間を浪費し、生産性を低いものにしているからだと。 これを批判していた先崎彰容教授は、その著書「知性の復権」で警察官であった作詞家阿久悠さんの父親の生き方を提示します。 「他者の視線を意識した『使命と倫理』こそが、一人の人間を人間たらしてめている。 使命とは、警官が求められる役割をこなすことであり、定義の枠外にでるのではなく、矜持をもって職責を果たすことです。」 生産性が優先される小売の現場にいる私には、この言葉が響いてきました。 警察官だけではなく、商人こそ、この使命と倫理を回復すべきではないのか。 昔の商店街にあった豊饒なおしゃべりを手掛かりに、復権すべき人間らしさを考えてみたいです。

2026/01/27

裁判官の同級生

裁判官となった高校時代の同級生の活躍ぶりを小耳にはさんでいましたが、 最近は新聞紙上で拝見することに及んでいます。 数年前に東京大学前で受験生ら3人を包丁で刺した当時高校2年生の事件を担当していました。 私たちの高校時代とも重なりますが、学歴や偏差値の優劣で価値を判断しやすい風潮が背景にありました。 しかし、「人命軽視の姿勢は甚だしい。」保護処分ではなく懲役刑を言い渡します。 その上で「他人の命やあなた自身の命を大切にし、人生の希望を見つけて社会復帰してほしい。 裁判員、補充裁判員、全員からの気持ちです。」その言葉と裁判員制度に希望が見えました。 今回は、東京五輪の汚職事件の判決で、大物と呼ばれる被告に対して、有罪判決を言い渡していました。 賛否はおいて、司法の独立は守られていると思いました。 そして、2009年に始まった裁判員制度の定着にご尽力されていることが伝わって参りました。 それでも、最終的に決断する者の孤独や苦悩は深いと想像します。 しかし、それがあるからこそ希望は生まれる。 私も彼にならって、この世代の責任を微笑んで果たして参りたいです。

2026/01/24

神戸のお父さん

弟の義理のお父さんが逝去されました。 お父さんたちは神戸の震災を経験されていて、また弟が婚約していた時に農作業で片腕を失う事故に見舞われました。 その事故の後に、結婚の挨拶で豊橋にご夫妻で来て下さいました。 伊良湖のホテルまで自動車でご一緒させて頂きましたが、明るくて前向きなご様子に安堵いたしました。 その後も、仕事だけではなく、お料理はじめ家事を率先されて行っていた。 そのお姿は、震災で傷ついた神戸の街と重なりました。 ちょうど三十一年目を迎えようとしていますが、「しあわせ運べるように」震災後に生まれた神戸市歌が心に響いて参りました。 「地震にも負けない」ことが、片腕を失っても負けないことにも通じます。 それは人生に起こる困難に負けずに明るく前を向くことを教えていたのだと気がつきました。 逝ってしまったお正月の優しい光は、孫たちに注いでいた優しい眼差し。 そんな孫たちの成長を見届けたタイミングであったのですが、 孫たちも「亡くなった方々の分も毎日を大切に生きてゆこう」と思いを新たにしたのだと思います。 そこに、しあわせ運ぶ未来を感じました。

2026/01/08

視覚障害の女性と駅員

正月二日目の昼下がり。海岸近くのJR蒲郡駅ホームで電車を待っている時でした。 視覚障害の女性が駅員にエスコートされて一番後ろの車両が止まるところまで歩いて行かれました。 お二人は会話をされている様子はなく、直立したまま黙っていました。 女性は、杖を片手にお洒落なコートを着ていました。 駅員は、無心で任務を果たされている様子でした。 寒風が吹きすさぶ中で二人立つ姿に、とても大きな存在感を感じました。 その存在感はどこから来るのか。 それは、厳しい現実を前にしても、前を向いている姿に重なったのか。 その視覚障害を通じて、どんな過去があったのか。さまざま自分勝手に想像したからでしょうか。 その想像とともに、女性の背後にいるご家族の愛情が伝わってくるのです。 また、その一人を守ろうとする駅員のあり方にも、人として大切な何かを感じることができました。 同じく厳しい現実がある新年だとしても、前を向くようにとのエールに響いてきます。 それは新年の道標でした。助けを必要としている誰かに手を差しのばす新年でありますように。 また、あのお二人に幸多かれや。

2026/01/05

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