教師の有形力行使に、はじめて最高裁判所の判断が下されました。 わがままな子供を口だけで諭すことは至難の技。 そのまま放任させれば、子も親もさらに混乱をきたすでしょう。 わがままと自主性の違いも熟考すべしです。 聖書には「愚かさは子供の心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」 底流には人間観も関わります。 最近の中学生は、有形力行使に戸惑いがある教師の隙も突きます。 いかにも知能犯。もし、彼らが生命に関わる重大事をしでかしたら、 有形力行使が相応しい場合も十分ありえます。 校内暴力で荒れていた我が時代は、毅然とひるまず叱っていただいたものです。 今とあの頃は違うようです。 その時の、先生の真剣な眼差しは、今でも焼きついています。 それは、怒りの暴発なんかではありません。 立派な人間になってもらいたい、一途な愛情の発露でした。 今日、叱れない教師や親こそ、逃げや甘さがあるかもしれません。 有形力行使が本質ではありません。信頼と愛情の不足こそ大問題です。
2009年05月01日