菜の花が潮風で揺れる渥美半島は、気候温暖な全国有数の農業王国です。 しかし、この地域には川がなく、水不足で干ばつに悩まされてきた過去があったのです。 そこで、ある壮大なプロジェクトが始動します。 1927年(昭和2年)田原市出身の政治家であり、後に豊橋市長も務めた近藤寿市郎が「豊川用水」の計画を発表。 それは、豊川上流に大きなダムを作り、渥美半島まで導水する農業水利事業です。 近藤が1921年(大正10年)インドネシアに視察に行った時に着想したと言われています。 その実現にむけて、近藤は人々に熱く夢を語り、国にも精力的に働きかけます。 ところが、金融恐慌、戦争がはじまるなど、思うようには進んで行きません。 しかし、近藤は、あきらめません。ついに、1949年(昭和24年)この計画が、国の事業となり工事が始ります。 そして、1968年(昭和43年)完成の日を迎えたのです。 近藤のしたためた夢は、47年の歳月をへて実現したのです。 この水がなければ、今の農業王国はなかったでしょう。 昔の政治家は、半世紀50年先を見て、壮大な夢とロマンをもって事にあたっていたようです。 この季節、豊橋の道端を勢いよく流れていく用水の音に、 近藤のありし日の息遣いを感じることができるようです。 フライパン倶楽部先代の家がある豊橋郊外の赤岩には、 ステッキをもった近藤の銅像がきりりと今日も遠くを見つめています。
2008年04月12日