フライパン倶楽部

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アリーナ事業の賛否を問う住民投票が近づく中で、街の未来を考える集まりが地元校区市民館で開催されました。 地元の松山小学校の同窓会長の立場もあり、今校長が生徒たちに伝えている校章の話をさせて頂きました。 それは、吉田藩主であった大河内松平家の家紋であった蝶がデザインされていること。 今回のアリーナの建設予定地は、豊橋公園、すなわち吉田城址であり、改めて豊橋公園のあり方が問われる。 その時、校章が歴史を顧みることを促します。 ちょうど、豊橋美術館では「終戦80年 軍都豊橋の面影展」が開催。 その展示は、縄文時代から始まっていました。 そんな時、日本経済新聞の直言欄で保阪正康さんが戦後を死語にしようと語っていました。 「この言葉を使っている限り、1945年から後の日本の歴史はいつまでたっても(太平洋)戦争の時代との比較でしかなくなる。」 戦前、大正、明治はいざ知らず、江戸まで俯瞰してこそ見えてくるものがある。 7代当主の松平信明が、当時のロシアと向き合いますが、そこには自分の国は自分で守る気概がありました。 すると、自分の街は自分でつくる呼び声が響きます。

2025年06月26日

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