フライパン倶楽部

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豊橋三田会で、明治生命の創業者である阿部泰蔵の後裔の方とお会いすることができました。 阿部さんは、もともと新城市鳳来町上吉田の豊田家の出身であり、今日もその生家は残っているそうです。 その豊田さんが、福沢諭吉と三河とのつながりを教えてくれました。 福沢諭吉は、大分の中津藩の出身ですが、その中津藩の藩主が奥平家。 その奥平家は、長篠の合戦時に長篠城主でした。 武田軍に城を囲まれても死守して織田・徳川連合軍の勝利に貢献します。 その時に名を馳せたのが、奥平家の家臣であった鳥居強右衛門(すねえもん)。 織田・徳川の援軍が来る情報を決死の覚悟で自軍に伝えて、自らは武田軍に捕縛されて磔刑にて落命。 辞世の句は、我が君の命に代わる玉の緒の何いとひけむ武士の道。ここに三河武士の源流を垣間見ます。 それを知る福沢諭吉は、幕府と維新後の政府に仕えた勝海舟と榎本武揚を この三河武士を例にあげて痛烈に批判します。 「家のため主公のためとあれば必敗必死を眼前に見てなお勇進するの一事は三河武士全体の特色」 それは、現代のわれら三河人にも語っています。今こそ、三河武士を見よや。 

2025年02月24日

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